2008年6月26日木曜日

三国志

部屋の隅に積んである本の詰まったダンボールを漁っていたら、中学時代に読んだ吉川栄治「三国志」が出てきた。三国志など高校生以上になったら持っているのも恥ずかしい本だが、ふとその魅力は何であろうかと考えてしまった。よく言われるように、それは数多くの個性豊かな登場人物なのであろう。子どものころは、テスト前なのに徹夜で読んだものだ。カリスマ性のある君主、勇猛果敢な将軍、神算鬼謀の軍師・・・

そこでふと考えてしまった。はて、軍師とは頭が良ければいいのであろうか?私も子どもの頃は単純にそうであると信じていたが、それ相応に社会での経験を積むと、そんな何でもかんでも先を見通して計画をたてる人間などいるわけがない、ということにイヤでも気づく。では三国志で軍師と呼ばれた人々は何なのであろうか?

諸葛孔明は三顧の礼をもって迎えられるまで、晴耕雨読の生活を送っていた。今から千数百年も前に悠々自適の生活を(しかもまだ二十代であった)送れるのは、どういった類の者であったのか?しかも孔明の一族は、魏呉蜀それぞれの国で重用され栄達している。連中はそろいもそろってそんなに優秀だったのか?

私は古代中国史についてはズブの素人だが、あえて推測すれば、たぶん軍師とは地主であったのであろう。だから晴耕雨読などという呑気なことができた。そして地主は多数の小作人を抱えており、小作人は戦時には兵隊となる。より多くの軍師を味方にできた君主は、より大きな戦力を保有できた・・・

大人になると三国志もずいぶんと味気ないものになる。

0 件のコメント: