2008年9月7日日曜日

「〇〇づくり」は雰囲気づくり

「まちづくり」、「ものづくり」といった類の言葉が私は大嫌いである。こういうセンスの悪い言葉を好んで使うのはほぼまちがいなく役所であり、役所が音頭をとって何かやりましょう、といって成功した「〇〇づくり」なんて聞いたことがない。所詮は「税金使ってちゃんと仕事やってますよ」という役人のアピールであり、役所のやることにケチを付けにくくする雰囲気づくりに過ぎない。

当然役所内部でも、〇〇づくりに反論する意見はまずない。反対したら奇人変人と思われてしまう。こういう言葉を考える人間は、ひらがなで書けばだれでも親しめる言葉になるとでも思ったのであろうが、現役のお役人としては、この類の言葉から受けるイメージは、「全体主義」と「抑圧」である。

2008年9月4日木曜日

占星術行政

ある事業が終わっても、それが成功であったか失敗であったか、総括しなければ、全く無意味である。事業そのものに、成功の基準、失敗の基準を設定しなくてはならない。

役所の事業は、だいたいどれだけ成果があったか、と言う見地からしか検証されない。失敗の基準が曖昧なのである。当たり外れが曖昧なのは、星占いである。

夢見るオッサンどもの現実離れした、たわ言。

それが現在の日本の行政である。

2008年9月3日水曜日

医師不足はなぜ起きたのか

今週の週刊東洋経済の特集は「不確実性」経済学入門だった。特集の前半部分の記事は興味深かったが、後半部分はこれが不確実性と何の関係が?と首をひねるようなものがあった。

後半の記事の中には、「不確実性を医師にだけ負わせた代償」が医師不足に繋がった、との記載がある。医療事故でマスコミが世論を煽り、医師バッシングを行い、その結果医師が不足したのだから、国民の自業自得だ、という論旨だ。

馬鹿も休み休み言え。自業自得なのは、医者の方である。もともと私は、日本社会で独特の文化を有し、かつ最も閉鎖的な「部」は、「野球部」と「医学部」であると思っているが、今まで、医者とは、特権階級的身分で安楽を貪り、患者に対してはロクに病状の説明もせず、病院経営にはまじめに取り組まず、政治権力を使って診療報酬の積み上げを行い、医学部の定員を制限することで身内だけのパラダイスを作ってきた、社会学的にみれば、産学官連携のただの業界団体である。

だから、東洋経済の記事の論旨は完全に逆である。ただの「医療技術者」が鼻持ちならない態度で人々に接してきたツケが、医療事故に対する訴訟として、己に降りかかってきたのである。

解決方法は、ひとつしかない。過剰に医師を供給することである。なにも医学部を卒業したからって、かならず医者にならなければならない理由は全くない。医学部の定員を各大学で自由に設定し、結果として医者が過剰になれば、その職に適応しないものは、淘汰されるようにすればいい。良識ある一般市民の義務として、連中をキチンと競争の荒波の中に放り込んでやる必要があるのだ。医学部の定員を国が低めに制限しているため、医学部にさえ合格さえすれば(国家試験もあるが)、馬鹿でもアホでも死ぬまで医者である、という馬鹿げた仕組みは即刻やめるべきだ。

たかが「医療技術者」不足で、何を悩んでいるのであろうか?ジャップとは不可思議な人種である。